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障害福祉関係

Wesley Goodwill Industries シドニーの障害者施設を訪問して
滝本二三江/松永光代


 10月下旬「日本福祉施設士会海外研修セミナー2000」のシドニー研修は、9月下旬に東洋大学社会学部天野教授より、予めオーストラリアの社会保障と社会福祉について事前講義を受けたうえでの出発となった。
 早朝に着いたシドニー空港から、そのままの市内巡りは、真っ青な空が目にまぶしく、しかし適度に乾燥している空気は心地好くて、夜間飛行の疲れを一掃してくれた。
 早速、当日午後の研修先は、オーストラリア社会サービス協議会である。会長はじめスタッフの方々から歓迎のご挨拶をいただき、オーストラリアの公立の社会福祉評議会として、頂点にある組織(ACOSS)の目的、取り組みの内容、背景などの説明があった。その運営は連邦政府からの補助金だけでなく自らも捻出して、低所得者層の生活向上のために運動をくりひろげ、平等な住みよいオーストラリア国家の構築のために役にたっている、さらに運動の裾野の広さについても熱く語っていたが、その女性会長の一生懸命な福祉への思いは私にも充分共感できた。
 それらを踏まえて臨んだ施設訪問では、市内から30分程の街の中にある知的障害者の授産施設見学である。センターマネージャーから施設の概要について説明され、過去40年近い歴史に始まってその業務や活動の広がりについて語られた。
 現在は、連邦政府から補助金をうけて新しい設備も整い、39名のスタッフが働いている。1986年発足の障害者サービス法に基づいて、業務成績だけでなく各スタッフの人間としての各自の価値を尊重していると語っていた。
 また、業務サービスオフィサーが、各スタッフの苦情問題から業務のゴール達成までの相談なども引き受けて、楽しく安全であると同時に、ビジネスを成功させるための生産管理についても、意識を高めていると話されていた。ちなみに給料は個々に差はあるが年金を受けているため、週50ドル以下であるとのことである。
 最初から同席していた障害をもつ3人のスタッフは、私たちが説明を受けている間、ただいっしょに聞き入っていたので私は質問をした。「働く喜びは?」「余暇はどのように?」と。その途端に、いよいよ自分たちの出番がきたという表情で、「仕事はとても忙しい、ここにいて外へ行って働こうと思わない。」「余暇は楽しいことばかり、ゴルフ、テニス、ショッピング」矢継ぎ早の言葉のあと「ボスがよいから」と、笑っていた。そして作業室への案内、仕事の内容などの説明も、彼等スタッフであった。それは自分たちの職場という意識の高さなのか、その姿に責任感と誇りさえ感じられた。
 明るくて優しい彼らスタッフに別れを惜しみながら、私たちは次のホーンズビイチャレンジという、非営利組織で知的障害をもつ成人にサポートを行う事務所へ向かった。
 そこでは主に自立生活し得るメンバーによって成立され、在宅、地域との関連、就職、適正給与など様々な支援の仕組みについて説明された。実際に派遣されている会社にも見学にいったが、どこまでそのサービスが維持されていくのか、短い時間の見学では把握することは難しかった。
 翌27日はシドニー福祉権利センターでオーストラリアにおける権利養護について学び、続いてシドニー市行政機関を訪問、シドニー市の社会保障政策について学ぶ機会を得た。
 重度の身体障害者通所授産施設を運営している立場から、つい街の中に車椅子の障害者を目で探してしまうのだが、短期研修期間の滞在中では街の中で出会うことはなかった。
 研修最終日にはシドニーパラリンピックの見学であった。金メダルを争うサッカー競技を目の前にして、その迫力に感動しながらの観戦であった。そしてボランティアの方々のなんと多いこと、いきいきと立ち働くその姿が、パラリンピックを大きく支えていたのではないかと思った。
 閉会式の主催者のあいさつにも、それらボランティアの方々に対して、感謝の言葉が随所にあり、その言葉のたびに会場いっぱいから、割れんばかりの拍手と歓声が湧き上がっていた。精いっぱいの力でがんばった障害者の方々を称え、支え、市民も共に喜びあうその歓声が、まだ私の耳から消えない。そして日の丸を掲げて入場して来られた日本選手の方を見た時、思わず目頭が熱くなった。障害者を取り巻く層の厚いことに感動し、振りかえれば短い研修期間であったが、胸にあたたかいものを包みこんで我が施設への思いを駆せながら、シドニー研修は終わった。
 準備万端整えて臨んだ事務局、団長はじめ所先輩施設長と親しく交流が持てたこと等々心から感謝したい。